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社会保険労務士 中村事務所



リンク


社会保険労務士関連

藤原年金研究所
[神奈川県横浜市中区にある障害年金に詳しい社会保険労務士事務所です。障害年金に関する社会保険審査会への再審査請求の代理人を引き受けたとき,私がはじめて目にした障害年金専門のサイトです。少々驚きでしたが。]

木本社会保険労務士事務所
[兵庫県宝塚市にある障害年金に詳しい社会保険労務士事務所]

藤澤労務行政事務所
[愛知県名古屋市にある社会保険労務士・行政書士事務所です。障害年金に関する貴重な情報が得られます。トップペ−ジから「障害年金裁定請求・障害年金審査請求」を選んでください。]

はじめての身体障害者手帳
[障害者手帳,その申請の方法など詳しくのっています]

安全衛生関連

財団法人 安全衛生技術試験協会
[厚生大臣の指定を受け,労働安全衛生法に基づく各種免許試験を国に代わって行っている試験機関です。]

中央労働災害防止協会
[労働災害のデ−タやセミナ−,全国労働衛生週間,全国安全週間の案内,労働者の疲労蓄積度,自己診断チェックリスト等]

財団法人 労災保険情報センタ−
[労災保険に関する相談業務や情報の提供を行うとともに,各種支援を行っております]

故郷関連

達人Navi平戸
[社団法人 平戸観光協会が作成している平戸を旅する方へのガイドです。]

平戸市街地と生月島観光
[九州 観光と温泉 のなかの平戸編ですが,写真が大きく,気に入ったのでリンクしました。平戸市街地観光で名称のどれかをクリックすると,下のほうに生月の観光案内がでます]

平戸,生月島の教会を訪ねて
[(五島列島の天主堂を訪ねて1年後、今度は同じ長崎県の平戸・生月島へ行って来ました。同じキリシタン迫害があったところとはいえ、地理的な面や教会の規模など、五島列島とは若干違うような気がしました。しかし、この地方でもあちこちで鉄川与助の優れた技術を見ることが出来ました。今、「長崎の教会群を世界遺産に」という運動が地元の長崎で行われています。実現の日を期待したいと思います。)HP原文から]

紐差教会
[平戸島を北部,中部,南部に区分すると中部にある教会。平戸観光にきても平戸市街地の観光におわり,紐差教会を尋ねた方は少ないのでは。平戸港からバスに乗りしばらく走ると,いきなり視界が開け,遠くに見える教会の姿は周りの田園風景と調和してとても美しい]

紐差教会 2
[紐差教会の沿革が記されています。個人的には違った角度から見た紐差教会の全体像が美しい。]

山田教会
[生月島にある教会。今日9月23日の新聞の片隅に,元関脇隆乃若引退という記事がのっていた。この生月島は新大関琴光喜をライバルとしていた隆乃若の出身地で,沿海魚業が盛んな頃は,船団の基地として活気にあふれた町でした。今も漁業が中心ですが,生月大橋ができてから観光の島に変貌してきている。]

世に棲む日日(その3) 平戸編
[「世に棲む日日」は次のような一文で始まる。 (長州の人間のことを書きたいと思う。倒幕の原動力となった長州藩。その中でも思想家吉田松陰と、革命家高杉晋作がこの物語の主人公である。)HP原文から]

平戸和牛 やきにく鈴 
[8月11日から15日にかけて平戸に帰省した。そのとき佐世保に住んでいる娘夫婦と一緒に,この店で食事をした。入口が狭く奥行きが長い立派な店。もちろん肉もおいしさ抜群。]

平戸島
[写真が綺麗なのと,アングルがいいのでリンクしました。]

平戸棚田
[(PCの掃除をしていたら、去年の今頃旅行した、長崎県の平戸島の、載せようと思って、忘れていた写真がありました。 平野が少ない日本はどこに行っても棚田があります。最近、棚田を妙に褒めそやす人がいますが、勘違い。望んで、それがいいから、の棚田ではありません。どんな場所でも、少しでも耕して、という人間の勤勉さのつくりだす風景です。 明るい東シナ海とゆるやかに拡がる棚田。春を待つ平戸島の風景です。)HP原文から]

上阿値賀島
[全島が天然記念物の阿値賀島。そのなかで(有)丸銀釣センターが釣場としてアップロ−ドしている上阿値賀島。写真がとてもきれいなので掲載しました。 ]

佐志岳と里
[2007年 春季創展(東京銀座松坂屋) 作品名 :佐志岳と里  三軒茶屋と平戸がぐっと近づいた瞬間でした。]

佐志岳とカソリック教会。平戸らしい風景です
[志々伎山が中心ですが,画面が明るく綺麗なのでアップしました。この教会は私が小さい頃は礫岩が見える大佐志にあった教会ですが,何年か前に帰省したときにすでに現在の場所にあって驚いたことがあります。新しい教会です。手前左側に低い生垣がみえますが,小さな祠がある恵比寿神社を囲む生垣の一部で,恵比寿神社を通りすぎると今はコンクリ−ト造りの橋で津吉橋というようですが(H21年夏帰省時確認したところ今でも恵比寿橋となっています。私の思い違いです),私が子供の頃は石造り併用の橋で恵比寿橋といって,旧南部中学校へ行く通学路になっていた。夏になると,小学生の頃はこの恵比寿橋の欄干の上から競って海に飛び込んで遊んだものです。郡上八幡の橋の高さに比べれば比較できないほど低いものですが,それでも小学生のとき初めて欄干から飛び込むには勇気を必要とした。]

大元水源の森
[平戸は平地が少なく,そのため棚田が多く造られていて,その棚田の水を補うため「ため池」がたくさんあります。中学生のとき友達と一緒に平戸南部のすべての「ため池」を泳ぎきろうと挑戦したことがありますが,そのときこの大元水源の森の池は,私の念頭にはありませんでした。後から整備され水源になったものとおもわれる。大石一久氏のふる里「上中津良町」と,私のふる里「津吉町」の地図が掲載されています。]

志々伎山/ふしぎ山
[(これまでに登ったふしぎ山の中でも特筆すべき、強い印象の残る山だった。  平戸島は、「本土から船に乗らずに行ける最西端の島」。全長30kmを超える大きな島で、南端部は細長い半島が東シナ海に突き出している。  その半島に、大昔から霊山として崇められる、この尖った山がある。)HP原文から]

礫岩/ふしぎ山
[(早福の港を北風から守るように張り出した尾根を北へ回ると、いきなり視界が開け、礫岩の姿が目に飛び込んでくる。  おいおいおいおい、まじですか! この風景の雄大さはいったい何ごとだ。  右肩上がりの姿で遠くに悠然と横たわる礫岩、そこへ向けて大きく開けた空間に、海からのしぶきを乗せた強い風がびゅうびゅうと吹き上がっていく。  建物は農作業用の小屋がいくつかあるだけだ。こんな場所が九州の小島の裏側に隠れていたとは。日本はまだまだ広いなあ。)HP原文から]

礫岩/ふしぎ山(登頂編)
[いまでは殆ど登る人もいない山ですが,こうして遠くから二度まで,危険を冒して頂上まで登山してくれる方がいるおかげで,礫岩の頂上を紹介することが出来ます。感謝。この礫岩山頂の風景は「ふしぎ山」でしか見ることができない貴重な写真です。]
[まるで日本アルプスの稜線のようだと,登ったHPの作者が書いている礫岩山頂への岩綾線。私がはじめて登ったのは小学生のとき,それから何回となく登った。とても懐かしい。]

浄土山/ふしぎ山
[隣の県佐賀県鹿島市にある山ですが,農村風景が見ていて私の心をなごませるのでリンクしました。]

志々伎山 2
[(人が登りたい山を選ぶときは何通りかある。  山容,道のおもしろさ,花がみたい,眺め,静かな山歩き,歴史探訪,噂に聞くから言ってみたい,などなど人それぞれである。  今回の場合は,まさに「山容」と「絶景」である。  この山の存在を知ったときから,一度行きたいと思っていた。だって,この形,登らずにはいられない。よく,子どもが変な岩があると,登りたがるが,それと一緒だ。そして,360度の大展望。山自体は低いがわくわくしながら,出発だ。)HP原文から]

志々伎神社
志々伎神社を歩く [(平戸といえば、教会と寺院、歴史とロマン等と形容される。しかし、もうひとつ、平戸といえば、延喜式における、肥前の国、式内社4社のうちで、唯一の長崎県内の式内社(壱岐・対馬は肥前の国ではない)である、志々伎神社がある。)HP原文から]

志々伎神社 2
[(長崎県平戸市の南端、野子町にある。平戸の付け根・平戸大橋から383号線をひたすら南下20Km程度。志々伎地区で19号線に変わり、10Kmほど。正確な距離はわからないが、とにかく走っていれば迷わず到着する。)HP原文から]

平戸つつじ
[(ヒラドツツジは長崎県の平戸市に古くから多数栽培され,各地に広まった変異に富んだ大型ツツジの品種群の総称である。平戸は昔から海外交通の要港で,多くの植物が輸入され,ツツジも国の内外から持ち込まれた。平戸が実生に適した環境であるため,自然交配と実生が繰り返され,多くの品種ができたものと思われる。そのなかのすぐれたものを選抜したのがヒラドツツジで,その形成に大きく影響したのはケラマツツジ,モチツツジ,キシツツジ,リュウキュウツツジと考えられる)日本の樹木(山と渓谷社)より]

平戸つつじ 2
[(大興善寺のつつじ顧問として、先代から引き続き、つつじの手入れ全般にわたりご指導をいただいたのは、つつじ博士の「田村輝雄先生」でありました。先生のご指導によって、大興善寺のつつじは、毎年美しい咲かせ、大勢のお客さんを迎えることになりました。 ある時、その先生から、「大興善寺の平戸つつじは、昭和の初期に人気の品種が多く植えられており、その当時、もてはやされた、いわば古典的?な品種の宝庫である」とお聞きしたことがありました。 私の知る限りでも、昭和20年代から30年代かなりの苗を久留米や田主丸の植木屋さんから求めておりました。 専門家の間では、よそではお目にかかれない品種もあるとか。 素人の私には、これ以上のことはわかりませんが、平戸つつじは、大きく育つつつじですから、1本のつつじでも、かなりの面積です。写真の傾斜を覆うつつじ、花芽が一杯付いて、華やかに彩を添えていますが、つつじの本数から言えば数本です。)HP原文から]

大興善寺(つつじ寺)(現在リンク切れ)
[天台宗別格本山 大興善寺
〒841-0203 佐賀県三養基郡基山町大字園部3628 TEL:0942-92-2627 / FAX:0942-92-3077(大興善寺は、1300年近くの歴史を持つ天台宗別格本山の古刹です。近世では、つつじの名所・観光地として広く知られるようになり、つつじ寺の愛称で親しまれています。)HP原文から]

シマシャジン(現在リンク切れ)
[長崎県の公式ホ−ムペ−ジ「秋の花」にある山野草,NO−87。( この花は、国内では長崎県平戸市の南部と五島列島福江島最西端の大瀬崎にしか咲きません。五島市大瀬崎のシマシャジンは大変小さく高山植物のような風情があります。花の色も濃い紫色のものが多い。一方平戸のものは、これより大型で花の色も青紫。  県のレッドデータブック絶滅危惧?A類。)HP原文から]

イトラッキョウ(現在リンク切れ)
[長崎県の公式ホ−ムペ−ジ「秋の花」にある山野草,NO−94。 (世界中でこの平戸島南部の岩上にのみ生育し、秋、ピンク色のラッキョウに似た花をつけます。)佐志岳から下に見える海はサザエを探しながらよく泳ぎまわったところです。]

チョウセンノギク(現在リンク切れ)
[長崎県の公式ホ−ムペ−ジ「秋の花」にある山野草,NO−96。同じく佐志岳で撮影されたものと思われます。遠くにみえるのは中学時代の青春の思い出が凝縮している風景です。(  このチョウセンノギクは、園芸用に栽培される菊の原種の一つとされています。)]

平戸散策’03<秋>
[平戸散策というより,佐志岳で見られる山野草のかずかずとでもいえるところ。綺麗です。]

夢見る花の里
[秋と言えば,小学生の図工の時間みんなで写生に行くのが楽しかった。長泉寺の参道で,前津吉の稲刈りがすんだ田んぼを中心に,向こうに海,手前にススキや草を配置して描いた。このHPの屏風岳の田んぼの風景にその思い出がすこし残っている。もう一度故郷の秋を見たいものです。]

福田酒造
[日本本土最西端にあり,かつ元禄時代からお酒造りをしている歴史ある蔵元です。]

丸銀釣センター
[平戸大橋をとおって結ばれた日本本土最西端の釣場にある釣り船,釣宿を経営。丸銀釣センタ−がある宮ノ浦の,目の前にある高島は中学時代,親友の実家があり,何度か遊びに行ったり,中学の行事でキャンプに行った懐かしい場所です。 ]

幸正丸
[私の母校,中学校の学区内,早福町にある釣り船。釣場は平戸沖から五島列島にかけて。こんなにアラ(クエ)が釣れるとは驚き,アラ(クエ)は幻の魚と思っていたから。 ]

浜本釣りセンタ−
[幸正丸と同じように,母校の中学校の学区内,堤町にある釣り船,民宿を経営している,浜本釣りセンタ−。釣場は平戸沖から五島列島にかけて。釣場案内に上阿値賀島,下阿値賀島の写真が掲載されています。島として圧巻,中学3年の夏休みに一度遊びに行ったことがあります。頂上まで歩いていけるようになっていて,途中に海鳥の巣があり,頂上付近には亜熱帯性植物ビロウの群落があって,嶮しい風景の印象と,楽しい思い出が残っている島です。 ]

長崎歴史文化博物館
[平戸紀行のブログを依頼した大石一久さんの勤務している博物館です。平成17年11月開館した新しい博物館です]

長崎県公式ホ−ムペ−ジ
[長崎県の公式ホ−ムペ−ジです。長崎に関する情報を知りたいとき是非利用してください。また,長崎では”長崎の教会群を世界遺産に”と活動をしています。応援よろしくお願いします。]  

【海男たちの夢の跡?!五島・日島の石塔群】
[日島の曲(まがり)地区に、歴史のロマンに包まれた「日島曲石塔群」という遺跡があります。それは日本の中世(鎌倉〜南北朝〜室町)時代の古墓で、東シナ海を見渡す場所にこつ然と建ち並ぶおびただしい数の石塔群です。雨風にさらされ摩滅が激しく、所々崩れ落ちたその白い姿は、海の青さを背景に、長い時間をくぐり抜けてきたものならではの圧倒的な迫力を放っています。HP原文から]
※ 参考にした本/「石が語る中世の社会」大石一久著

故郷関連「新」



平戸オランダ商館

平戸オランダ商館は、1609年に江戸幕府から貿易を許可された東インド会社が、平戸城主松浦隆信公の導きによって平戸に設置した、東アジアにおける貿易拠点です。オランダ商館長日記などの記述によると、当初は土蔵の付属した住宅1軒を借りて始まり、その後、貿易が拡大するに従い、1612、1616、 1618、1623、1637、1639年に順次施設の拡大整備が行なわれました。特に、タイオワン事件(台湾での中国貿易をめぐるオランダ商館との紛争事件)によって1628年から5年間交易が途絶えた後の1637年と1639年に建設された倉庫は規模が大きく、充実した貿易の象徴でした。

松口ようこ ウェブサイト

長崎県平戸市出身のミュージシャン・ソプラノシンガー。クラシックの他に、スタンダード、ポピュラーなど。地元平戸のオリジナル曲も多数作曲


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