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社会保険労務士 中村事務所



平戸紀行


ブログの著者大石一久さんの紹介

大石一久

平戸紀行のブログを,大石一久さんに依頼したところ,快く引き受けてくれました。
大石さんは昭和27年に長崎県平戸市に生まれる。長崎県の大村高校,上対馬高校,佐世保北高校,口加高校の教師をしながら休日を利用して,中世の石造物,主に墓石を丹念に調査しながら,地域の歴史と暮らしを探ってきた歴史家です。2005年4月発行された,千々石ミゲルの墓石発見のなかで,次のように語っています。

千々石ミゲルの墓石発見 ≪「石という身近な素材が権力者の手にかかれば権力の象徴としての顔をもち,名も知れない一般の庶民に会えば素朴な被支配者の嘆きをも石は語ってくれる」この言葉は,私を石造物の研究に向かわせたある先生の言葉である。いまから数十年前のことであるが,当時は石造物を美術品,悪くいえば骨董品として捉える風潮があった。そのため一般的にはりっぱな石塔とくに古くて無傷の石造物しか調査の対象ではなかったが,私は石造物,なかでも墓石などの石塔類を歴史資料としてとらえ,石造物から地域の歴史や暮らしを探っていきたいと考えた。どんな欠片でもいい,建塔された時代と種類それに石材を地域ごとにまとめれば,そこから地域の成り立ちや当時の社会のありかたがわかるのではないか。時代は,仏教のひろまりとともに石造物が多く造られてくる平安時代後半から室町時代までの中世とした。≫

長い間の地道な調査と研究のもとに,数多くの論文・著書があり「平戸市史」「佐世保史誌」のなかでも,一部出筆しています。現在は長崎歴史文化博物館に勤務されています。

ブログ:http://hirado.nmy.jp/

私,中村もたまにブログに投稿することにしました。

平戸紀行のご案内を致しましたが,打ち合せが不十分だったため,まだブログの開始にいたっていません。大石一久さんが多忙 であることがその理由です。時間がとれるようになったらはじめます。
テレビ長崎が制作した「女の一生」(愛と望郷のマカオ)は,石造物学者として,マカオにある墓石の作られた年を明らかにしながら,埋葬された女性が,大きな愛に包まれた唐ゆきさんであったことを証明している,大石一久さんと不思議な運命を辿った明治時代の女性を紹介したテレビ番組です。九州では平成19年7月21日14:00から14:55にかけて放映されました。東京では平成19年7月22日3:00からフジテレビで放映されています。最近の大石一久さんの活動の一端ですが,平成19年9月22日から平成19年12月8日にかけて,早稲田大学エクステンションシアタ−で行われた,「旅する長崎学講座」においても,講師として数回講演されています。そのときの講座のスケジュ−ルは下記「旅する長崎学」講座のなかに記されています。


「旅する長崎学」講座

平戸紀行のブログは,大石一久氏が多忙なため,氏の承諾をえて,平成11年から平成13年にかけて長崎新聞の うず潮 に掲載された文章を私が転載しました。





ここからは私(中村)が撮った写真などを掲載します。上にいくほど新しいものです。 





   平戸城天守閣からみた平戸市街地                  (平成24年12月31日)                                 
       

平戸城天守閣から撮影した平戸市街地。左側に聖フランシスコ・ザビエル記念教会、右側に松浦資料博物館がみえます。



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   北虎口門                                      (平成24年12月6日)               
       

明治の廃藩置県で平戸城は狸櫓と北虎口門(きたこぐちもん)を除いて解体された、という説明と(社)平戸観光協会のHPによれば「現在の木門は復元されたもの」との説明もある。



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   大蘇鉄                                       (平成24年10月30日)               
       

樹齢400年の蘇鉄。江戸時代初期オランダ・イギリスの東インド会社の貿易拠点が平戸にあった。この蘇鉄は当時の貿易商川崎屋の庭に植えられていたと言われている。平戸の歴史を感じさせる樹木です。



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紐差カトリック教会                                 (平成24年10月20日)               
       

平戸島を北部、中部、南部でわけると中部にあるカトリック教会です。



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紐差教会

紐差教会(2)






松口ようこ  ライブのご案内                            (平成24年10月15日)               
       

平戸在住の歌手。各地で活発に活動しています。






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上床(津吉)と牧舎                                  (平成24年10月12日)               
       

津吉小学校の時遠足に行ったり「めじろ」取りに行った場所






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子供のときは野で沢山の小学生が遊んだ所。わずかに面影が残っていた。。









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上床の近くの牧舎(1)







 

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一段上の牧舎(2)から見える、左から屏風岳、佐志岳、礫岩。







平戸の武家屋敷 大曲敦家(再)                            (平成24年10月9日)               
       

夏訪問した画像中心ですが、部屋からみた庭園の風景を他からお借りした。






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夏の平戸の武家屋敷(1)。









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平戸の武家屋敷(2)花が咲いているのでこの画像だけ季節違い。







 

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夏の平戸の武家屋敷(3)。







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夏の平戸の武家屋敷(4)。









平戸焼(三川内焼)                                  (平成24年10月7日)               
       

三川内焼博物館(佐世保市)で写したものです









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平戸焼(1)。平戸松山窯 中里月度務氏の写真がある。









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平戸焼(2)。







 

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平戸焼(3)。







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平戸焼(4)。









茶室 閑雲亭(平戸松浦資料博物館)                      (平成24年8月31日)               


屋根の葺き替えを今年の冬におこなった閑雲亭。









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平戸にある松浦史料博物館の奥にある 閑雲亭 茶室。









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控室。ここに腰かけてお茶とお菓子をいただきました。気軽にお茶をのむことができる。







 

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控室からみた中門。









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閑雲亭近景。綺麗になって惚れ惚れします。









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茶室。さすがにここに座るには気が引ける。









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横からみた閑雲亭。







平戸城                                                  (平成24年7月28日)                                                                                                                    


 


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平戸城は、別名亀岡城と呼ばれ、平戸瀬戸に突出した平山城である。 第29代天祥鎮信は、平戸古城の再築(日の岳城を1599年築城、1613年焼く)を図り、山鹿素行と共に設計を行い、1704年30代雄香棟が着工、1718年(享保3)31代松英篤信の時亀岡城として落成した。 山鹿流による築城は他には聞かれない。 現在の城は1962年(昭和37)復元(天守閣三層五階建)され、その後櫓も随時整備された。天守閣からの眺めは素晴らしい。







梅ヶ谷津 偕楽園(国の登録有形文化財)                       (平成24年7月24日)                                                                         


 旧平戸藩主別邸  絵図から広大な土地は文化的な面だけでなく殖産振興の今で言う農事試験所的な一面ももっていたようです。



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三十五代平戸藩主松浦熈の別邸。当時の建物や庭園、熈直筆の書、茶道具などを展示している。御用窯の中野焼と三川内焼の茶碗や皿など200点ほどが見られる。国の登録文化財。



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殿様の御座所



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パンフレット 1



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パンフレット 2







「国牛十図」に記された御厨牛                             (平成24年7月13日)                                                           


 「国牛十図」は鎌倉後期の作で、全国の牛の産地から京洛(都)へ集められた10ヶ国の牛の図とその特徴をのべている。



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「国牛十図」によると、肥前国の御厨牛というものを優れた牛としてあげている。肥前国の宇野御厨(平戸市、松浦市、伊万里市、及び五島)の牛をさしている。それによると御厨牛は、角が長く、骨太く、皮が厚く、大牛であるとして、天下に名牛として好評を博していたらしい。「松浦氏と平戸貿易」外山幹夫著より。





平戸の武家屋敷 大曲敦家(国の登録有形文化財)            (平成24年6月26日)                                                 


 平戸には松浦史料博物館の他に,個人の家で,国の登録有形文化財に登録されているものがあります。そのうちの一つ、大曲敦家は建物は大正13年、庭園は江戸後期のものと紹介されています。



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「冬の庭園の一部」

冬、春二枚の写真をみていると、同じ場所だけど、冬のほうは春の中心部分を大きく写したもの。そうすると「冬の庭園」の手前にある、葉が散った大きい木は、刈込をされていない、平戸ツツジの本来の姿かと思われる。江戸時代から150年以上、営々と人の手で庭の手入れが継続された 結果存在する極めて大事なツツジと言える。庭園も価値ある歴史的資産である。



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「春の光景」





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大曲家では2月に椿展、4月に、庭園がオ−プンガ−デンとして一般公開されています。普通の日でも予約すれば見学ができるそうです。

画像の無断転載お許しください。









松浦資料博物館(平戸)                                       (平成24年6月24日)                              


 松浦史料博物館(まつらしりょうはくぶつかん)は長崎県平戸市にある旧平戸藩主松浦家と平戸の歴史に関する史料を収蔵した長崎県の登録博物館。運営は、財団法人松浦 史料博物館。建物は「旧松浦家住宅」として長崎県指定有形文化財となっている。  松浦史料博物館は平戸藩主であった松浦家に伝わる秘蔵品を約200点展示しています。秀吉の切支丹禁制文や南蛮貿易で得た品々、茶道などの品などがあります。



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松浦資料博物館へ通じる階段(階段を上らなくても車でいけるようになっています)。



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階段を上りきった入口近く。





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内部からみた入口の瓦。 「松浦資料博物館」は旧平戸藩主松浦家の私邸だった建物で、建物自体が国の登録有形文化財となっています (貴重な国民的財産)。  ここに国指定重要文化財を含む3万点余りの収蔵資料が保管展示されています。展示品は御所人形から鎧、お籠、絵巻物、平戸焼きなどの他、オランダ製の地球儀や天球儀など多岐にわたります。





島原(長崎)の武家屋敷                                       (平成24年6月22日)                              


 昨年帰省したとき姉夫婦の車で島原、雲仙に行った。


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島原の武家屋敷



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映画のロケにも良く使われるそうだ。 広島県の瀬戸内海に面していて歴史ある街「鞆の浦」の埋め立て、架橋建設中止のニュ−ス。良い知らせです。





アラ(クエ) 平戸 五島近海                                    (平成24年6月19日)                              


 平戸の宮之浦魚港と早福漁港から幻の魚といわれるアラ(クエ)の釣り船がでている。


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宮之浦の釣り船(有)丸銀センタ− Tel 0950-29-1533 のHPから



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早福の釣り船 弘福丸 Tel 0950-27-1182 のHPから



 

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魚の形はグロテスクだが、刺身はこんに綺麗な透き通った形になっている



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釣り場 阿値賀島 いろいろな魚の釣り場となっている。







的山大島                                                   (平成24年6月16日)                              


  神浦の町並み 〈国選定重要伝統的建造物群保存地区〉 江戸・明治・大正時代の離島の港町の伝統的木造建築群が細い道をはさんで建ち並ぶ。静まりかえった町中を歩くと当時の素朴な生活が蘇ってきそうで心が和みます。


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アクセス 平戸桟橋と田平港から船で行きます。





オランダ塀                                                 (平成24年6月12日)                              


400年近く残るオランダ商館と町屋を区分ける塀。 


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オランダ商館の塀の一部が残っている民家の前の通りから、山手に登る石段の坂道に沿っている石塀が「オランダ塀」である。 この塀は部厚な砂石を平積みして、その上に貝殻と石炭を混ぜて作った漆喰のようなものを塗っている。 高さは2m、長さ30m程度。 1618年(元和4)に築造され、商館本館のほか、倉庫、火薬庫、病室等の目隠しとして作られた。 黒ずんだ塀に、蔦かずらが這う様は、長年の月日を感じさせる。





旧堀田邸 佐倉市                                               (平成24年6月6日)                  




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旧堀田邸は、最後の佐倉藩主堀田正倫が、維新後東京から佐倉に移り住んだ邸宅です。 平成11年秋に大規模な補修復元工事を終えました。 また、明治期の庭師、伊藤彦右衛門による庭園部分は「さくら庭園」として常時開放されており、自由に見学・散策ができます。  平成18年7月5日には、住居部の玄関棟・座敷棟・居間棟・書斎棟・湯殿および土蔵、門番所の7棟が、「旧堀田家住宅」として国の重要文化財(建造物)に指定されました。







平戸市街地の新旧                                             (平成24年6月5日)                  




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崎方公園に登っていく坂から平戸市街地と聖フランシスコザビエル教会をのぞむ風景(昨年8月撮影)。



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昭和20年代? 古い画像をどこかでみかけたので掲載してみました。



聖フランシスコザビエル教会                              (平成24年6月3日)                  




 

 

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正面からの写真はよくあるので違う角度から撮ったもの。 



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教会内部。厳粛な雰囲気がします。



松口ようこ  ライブのご案内                           (平成24年5月30日)                  




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松口ようこ プロフィ−ル
長崎県平戸市出身
作陽音楽大学音楽部声楽家を卒業
長崎を中心に各地でディナ−ショ−やライブ活動を行う
透明感にあふれたあたたかい歌声が魅力
2007年:CDアルバム「平戸の四季」発売
2008年:CDアルバム「寄り道」発売     2010年:CDアルバム「Canto歌」発売

                                



ようこ&フロ−レスデュオ  ライブのご案内                 (平成23年9月12日)               




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松口ようこ プロフィ−ル
長崎県平戸市出身
作陽音楽大学音楽部声楽家を卒業
長崎を中心に各地でディナ−ショ−やライブ活動を行う
透明感にあふれたあたたかい歌声が魅力
2007年:CDアルバム「平戸の四季」発売
2008年:CDアルバム「寄り道」発売     2010年:CDアルバム「Canto歌」発売

場所:Studio K 東京都杉並区高円寺南4-39-17 Tel 03-3311-6635
日時:11月12日
会場:午後6時30分 開演午後7時
前売:3,500円(当日4,000円)
主催:ようこ後援会東京事務所  03-3841-0188

後援:佐世保重工業株式会社・ジャパネットたかた・アマウタ
問合せ:ようこ後援会東京事務所  03-3841-0188 (辻川)                                 

松口ようこ ウェブサイト


復元された 平戸オランダ商館                           (平成23年9月8日)               




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平戸オランダ商館倉庫。  H23.8.7撮影 色は光によって変化するけど,窓も屋根も青色の画像があって同じ建物か
                 と思ってしまう。



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平戸オランダ商館倉庫細部。  H23.8.7撮影 階段の手摺りといい,窓の細工といい細部の美しさが際立つ。これが
                    400年前の建物とは。

    

     

平戸オランダ商館




平戸城                                                 (平成23年9月3日)               




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崎方公園からみた平戸城。



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平戸城天守閣。

 

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天守閣から見た海と櫓。



茶室 閑雲亭(平戸松浦資料博物館)                      (平成23年8月31日)               


いままでアップできなかった画像が偶然できた瞬間(画像を保存しているファイルの階層の問題でした)。
近くのパソコン教室にいったり大変だったけど,教室の教えとは関係なく,自分でできたのが大変嬉しい。


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平戸にある松浦史料博物館の奥にある 閑雲亭 茶室。



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閑雲亭。

 

秩父三峰口                                                (平成21年12月1日)               


11月29日の日曜,事務所で仕事をしていたが,急遽3月のはじめ行った秩父のことを思い出し,行くことにした。


三峰口



三峰口駅前のお蕎麦やさんのおかみさんが教えてくれたこの辺の見所。中央遠くにそびえ立つのが秩父の象徴,武甲山。



三峰口



秩父鉄道,三峰口駅。


3月に来たとき,お蕎麦やさんのおかみさんに,この近くで見晴らしのよい場所をおしえてよと尋ねたら,早口で「この店の前の道をまっすぐ行くと途中坂になるけど,橋があるから橋をわたりきると,バスでもとおる大きい道路にでるから,そこを右に行って,すこしあるくと公衆トイレがある。その横の道が登山道の入り口になっているから,そこを少し登るといい風景がみえるよ。テレビでも紹介されたから。」とおしえてくれた。その時は,私はなにがなんだかわからなかったが,とにかく行ってみることにした。やっとたどりついた場所はたしかに見晴らしの良いきれいな風景が見えるところだった。その時と同じ場所に行く。



白川橋



荒川に架かる白川橋入り口。



白川橋



白川橋。



白川橋



白川橋から下流を撮影。



多少の高所恐怖症。腰が引けての撮影,この写真より実際の景色がすばらしい。





白川橋



白川橋から上流を撮影。





箱の中の遊戯  フォアミセス11月号(10/3) 発売中 作 大山和栄(平成21年10月3日)    


平戸出身の漫画家大山和栄さんの作品,「箱の中の遊戯」がフォアミセス11月号に掲載されているので紹介します。

フォアミセス



物語は自分の子供が,ネットゲ−ムにのめりこんだあげく,不正アクセスをして警察沙汰になる。その事件を通じて親子関係,家庭のあいだに亀裂が生じるが,それをのりこえあらたな親子関係が築かれていくものです。パソコンは小さいときから慣れ親しんでいることが大事だとはわかりますが,ネットの世界は私達の知らない奥深いあるいは闇の世界があるように私にはおもえる。知らない世界とどう向き合っていくか,問題提起している傑作です。            

  

平戸に帰省したとき,志々伎山,早福トンネル,錦が浦などなど  (平成21年8月22日)




天気がよかったので,志々伎山に登った。



志々伎神社



志々伎山登山道入口志々伎神社参道と同じになっている。



「玄松子のHP」 志々伎神社が四社からなる規模の大きい式内社であることをよく説明しています。

「志志伎神社を歩く」 おなじく志々伎神社の特殊性を説明しています。

「志々伎山登山ガイド完全版」 詳しいガイドです。 



参道



 

参道  どこかで見たような光景

 



志々伎神社中宮

志々伎神社中宮

   





岩峰

 山頂近くから見た岩峰

   順路にそって登れば頂上につくようになっている



上宮

志々伎神社上宮



山頂にある



山頂

上宮の祠からすこし降りた志々伎山山頂



下に海岸の白い波がみえる,347メ−トルの高さです。



山頂からみた海岸

山頂からみた海岸



  山頂から 真下の海岸がみえる写真がとりたかった。



夏の太陽に光る海

夏の太陽に光輝く山頂からみた海



  



山頂からみた海岸

山頂からみた海岸



  私は多少の高所恐怖症があるが,下に緑の木々があると気持ちがよいだけで恐怖は感じない。

   

案内 明治33年

左が登り坂,右が下り坂になっている



選択に迷うところ。明治33年に石でできた案内はよみづらい。ここは右,いったん降りていくとやがて登りになる。



真下にみえる海

私は海が好き 山頂からみる海はまれにしか見られないので何枚も写真をとった。





志々伎彎

志々伎彎をへだてて屏風岳,礫岩



誰と行ったか思い出せない。一度だけ二人やっとのれるぐらいの小さい船で志々伎彎で魚釣りをしたことがある。それも竿で釣るのではなく,糸を垂らし,指先の糸の感覚で魚を釣る方法。大谷君か大浦君あたりか。

高島方面

山頂からみた高島方面



大栄丸の遭難時,尾上島から北北西12.6キロの現場といった尾上島とは,高島の左にある小さい島のことか?合掌。

恵比寿神社と教会

恵比寿神社と教会





教会

「大佐志教会」



「大佐志教会」 津吉橋下車徒歩5,6分。 

大佐志にあった教会が,津吉橋近くに移転新築されたもの。HPの説明は大佐志にあった当時の教会の説明か?

早福トンネル

できたばかりの早福トンネル



早福トンネルもさることながら,この近くにある神秘的なため池を見たかった。子供のときこのため池だけは怖くて泳げなかった。工事のためか神秘的なため池の面影はなく,そのかわり右側の川が堰とめられ,ため池の代わりをしていた。

早福トンネル

トンネルのなか



車が一台走るだけでものすごい轟音がする。

記念碑

早福トンネル完成の記念碑





記念碑の言葉

記念碑の下の台にかかれた言葉

写真をとっている私の姿がかすかにみえるのが残念。

記念碑からみた早福方面

記念碑のところから撮った早福方面



朝7時過ぎ,田舎ではゆっくりした気分か,朝の目覚めも気持ちがよい。ビ−ルも良く飲んだが朝まで残ることはなかった。

古田漁港ちかくのススキ

古田漁港ちかくのススキ



ススキにもいろいろな種類があるみたい。新宿御苑のススキとは明らかに違う。田舎のススキがスマ−トにみえる。

大佐志からみた礫岩

大佐志からみた礫岩



大佐志教会はこの写真の右端中央の田んぼの端に白い小屋がみえますが,そのすこし奥にあった。

錦が浦

大佐志から峠をこえて下りてきた錦が浦





錦が浦

錦が浦





錦が浦

錦が浦





錦が浦と礫岩

錦が浦と礫岩





カンゾウの花

海岸に咲くカンゾウの花






2009年「平戸オランダ年」400周年記念 (平成21年5月28日)
                

1609年、徳川家康から朱印状とオランダ商館の設置の許可を得て、ここ平戸で日本初のオランダ貿易が始まりました。そして今年2009年は日蘭通商開始から400周年という記念すべき年になります。

このことを祝い、オランダ貿易発祥の地であるこの平戸市で「平戸オランダ年」として国際交流イベントをはじめとしてたくさんのイベントを行なっていきます。

現在も続く平戸とオランダの交流や、歴史の残る美しい町並みを味わってみませんか?

 5月
15日  五島美術館(東京)2009「平戸・オランダ年」400周年記念茶会
 16日〜五島美術館(東京)2009「平戸オランダ年」400周年記念企画展開始
 6月
 21日  五島美術館(東京)2009「平戸オランダ年」400周年記念企画展終了
未定  五島美術館(東京)2009「平戸オランダ年」400周年記念茶会

五島美術館



蛍の里  フォアミセス6月号(5/3) 発売中   作 大山和栄        (平成21年5月7日)


平戸出身の漫画家大山和栄さんが,蛍の里(平戸)をぶたいに漫画を描いているので近くのコンビニで買って読んだ。

フォアミセス



物語は神戸に住んでいる夫と別居中の女性が,子供二人を連れて故郷の母親の介護で蛍の里(平戸)に長期滞在。子供達は地元の小学校に転校することになる。そこでおきる,親と子供,人と人との絆をテ−マに展開する。物語は展開が早く小気味よい。おおきなテ−マのなかにも,小さな話しの小柱がいくつもあって読者を飽きさせない。最後の暗闇に蛍が飛び交う情景と夜の星空が圧巻。

  

蛍の里



中津良川に蛍が群舞する,そして多くの人が群舞する蛍をみにきていると数年前から耳にするようになった。一時は汚染がひどく蛍もいなくなったが,中津良小学校の生徒たちと地域の人達の努力でいまのような群舞する蛍がみられるようになったという。蛍の里のなかでもその様子が描かれているが,一つのHPが目にとまったので紹介します。

EMフェスタ2003 > 専門分科会 曽川和則先生の発表


巻き網漁船沈没のいま                                (平成21年4月28日)


4月14日,午前8時20分巻き網漁船である大栄丸の沈没のニュ−スから2週間が経った。大栄丸の母港館浦に電話して状況を尋ねた。館浦にはいとこ同士で結婚した姉の嫁ぎ先があり,今回の事故に縁のある人も一人含まれている。
電話の話によれば,海上保安庁の捜索は,4月27日より平常のパトロ−ルになり,自衛隊の飛行機による捜索も中止,ただ大栄丸の僚船のみが捜索をしているということである。86メ−トルの海底に沈んでいる漁船の引上げは不可能の状態にある。遭難にあった御家族は神社で「おこもり」をしているという。

海

  

尾上島から北北西12.6キロの現場は,平戸からはあまりにも近く,無念だったろう。

平戸市立南部中学校創立50周年記念                         (平成21年1月2日)


  

50周年記念

  

50周年記念

  

50周年記念

  

50周年記念

  

50周年記念

  

南部中学校が創立50周年になり,11月22日に記念式典,そして記念誌が発行されたという知らせを受けたので, 南部中学校に電話をして,記念誌を送ってもらいました。記念誌と記念の湯飲みがセットになって1,500円です。 同窓生で知らない方もいるかと思い,掲載してみました。写真をスキャナ−でとりこみHPにアップするまでの私の技術不足で,懐かしの南部中として,旧津吉,中津良,志々伎の各分室が掲載されている写真がきれいにできあがっていませんが,実際は鮮明な画像です。当時を知る方にとってはとても懐かしい写真ではないかとおもいます。湯飲みは漫画家大山和栄さんのイラストによるものです。 大山和栄さんの代表作は "姉妹坂" "赫い花""シューティングスター" など。姉妹坂は正月映画として大林監督により映画化され上映されています。最近は,フォアミセス(発行/秋田書店)に漫画が掲載されています。 単行本では,「乳がんと闘う!ピンクのリボン」が集英社より,「明日への伝言」が秋田書店より発売中です。

 
平戸に帰省したとき,宝亀教会と平戸南部の自然              (平成20年8月18日)


宝亀教会

 宝亀教会 

明治31年(1898年)3月19日竣工、築後100年以上を経ている。 建設にあたっては、マタラ宣教師の指揮のもと、五島列島宇久島出身の大工・柄本庄一によって建てられた教会で、平戸市内で最も古く、長崎県内140件以上の教会の中でも、古い歴史をもつ教会のひとつである。 建設に当たっては地域の信者達の並々ならぬ献身があったそうである。 イギリス積みのレンガ造りの外壁や、大頭アーチ式の円形窓・こうもり天井など、建築学上多くの特徴を持ち白い漆喰とレンガ色のコントラストが大変美しく訪れる人々を魅了する。 正面の外観からはレンガ造りのように見えるが、主体構造は木造で、両側にテラスと床面までの窓が設けられているのが特徴である。ステンドグラスは建設当初のもので、美しく貴重である 形式の上では、3廊式、玄関武1間、信徒関4間、内陣1間及び1間の突出をもち、主構造を木造、正面玄関部分をレンガ造とする。 床面積72.3坪の建物であるが、日本における初期のレンガ造の聖堂が技術発展し、確立されて行く途上の年代に建てられた聖堂として、価値あるものである。

   社団法人 平戸観光協会のホ−ムペ−ジから。

宝亀教会

  宝亀教会内部

私より先に居た人がさかんにカメラにおさめているので,真似して写したところこんな感じでした。



宝亀教会

  宝亀教会内部



宝亀教会

  宝亀教会

ドアは木にペンキを塗ったようにみえる?素朴な感じがします。



宝亀教会

  宝亀教会

夏とはいえ穏やかな日の光と,薄緑の建物がとても安らかな気持ちにさせます。



志々伎山,屏風岳,佐志岳,礫岩

  林道から遠くに見える,左から志々伎山,屏風岳,佐志岳,礫岩

   この風景だけをみているととても島とは思えません。



広域基幹林道平戸中央縦貫線(終点)

  広域基幹林道平戸中央縦貫線(終点)案内板:【敷佐町】

  国道383号を平戸市街地から平戸南部に向かってバス通りを車で行くと,紐差教会を右手にみながら,平戸市民病院
  を通り過ぎたあたりを左へ入っていく。林道はこの案内板からさらに前津吉,長泉寺の参道の入口あたりまで続く。平成
  11年竣工という記念碑がたっていた。



前津吉港

  前津吉港とコバルト21

  佐世保と前津吉を直行で45分で行きます。途中相浦に寄る便もありますが,時刻表は下記のHPをご覧下さい。

   コバルト21運航状況

津吉丸から平戸橋方面

  コバルト21から平戸橋方面



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